筑波大学生命環境科学研究系構造生物科学専攻 井上勲教授 専門分野:植物系統分類学 研究テーマ: 「酸素発生型光合成生物(植物)の多様性と進化を探る」 研究室HP http://www.sbs.life.tsukuba.ac.jp/Inouye/Inouye.html |
■どんなこどもだったんですか? 僕は石垣島で8人兄弟の末っ子として生まれました。体が弱く、足が悪かったこともあり、活動的な子どもではなく、一人で部屋の中で遊んでいることが多かったです。両親は商人で、米や石油などを売ってました。一升枡を使って、米を測る手伝いなどはよくしました。父親は小学校しか出ていないような人だったんだけど、非常に読書家でした。勤勉で自分で自分を作り上げてきた人だったな。母は信念の人でした。僕の足が悪かったので、体が出来上がる中学生までの間ずっとマッサージに連れて行ってくれてね。だから、今はあまり不自由なく過ごせるんだと思います。 石垣島なので海も山も近くにあったのですが、昆虫少年でも植物少年でもなかったです。青虫やゴキブリ、ナメクジなど小さな生き物は嫌いでね。特に石垣島にたくさんいるヤモリは大嫌いでした。その頃は器械を修理するような電気屋さんになりたかった。小学校高学年から高校半ばまではラジオやステレオのアンプなどを作ったりしました。今でもパソコンなどの器械は好きです。同時に星も大好きでした。今でも星は好きだけど、目が悪くなったから写真で楽しむことが多いです。ハッブルの望遠鏡が上がってからの写真を見るといい時代に生まれたなと思いますね。 ■中高時代は? 本をたくさん読みました。推理小説、SFから、社会科学、哲学などいろんな分野の本をね。そうするうちに哲学少年になりました。まあ、僕らの世代は「哲学少年」の時代を必ず通ったんだけどね。「神は存在するか」、「人間はどういう存在なんだろう」ということに興味がありました。社会の仕組みだとか、人間の平等不平等などもずいぶん考えました。そんな中で生物を知らないと人間のこと、自分のことが分からないということで生物学を勉強しようと思いました。ただ、生物という科目は好きじゃなくって、生物学科も物理・化学で受験しました。 哲学の道に進むことは考えられなかったな。哲学というのはとてつもない学問です。文系の学問というのは難しすぎて僕にはできないと思ってたし、今でもそう思ってます。一般的に世の中では理系が偉いんだ、できるという印象があるようですが、僕は逆の印象で、文学者というのが一番すごいと思っています。あの人たちのあの教養、論理力、膨大な資料を読み解く力というのはとてもじゃないけどかなわない。理科なんか簡単ですよ。 ■大学時代 「人間のことを知りたい」という生物屋としては不純な動機で東京教育大学の生物学科に入学しました。そしたら、びっくりしたんだよね。同級生がおたくでプロ。鳥の鳴き声聞いたら「あれは○○だ」とか、熱帯魚のことなら何でも知っているとか、「このシダは○○シダと○○シダの雑種だ」とか言って、それが当たっている。そんなやつらがごろごろしていた。えらいところに来てしまったと思いました。だから大学1,2年のころは、週末は山に行って植物採集をして、勉強しました。勉強すれば何でも面白くなります。4年生になる頃には藻類に興味を持っていて細胞学的に藻類の研究をしたいと思ってました。 植物細胞というのは葉緑体がありますね。その当時にすでに共生説はあってね、植物細胞はいろいろと複雑なことをしているにちがいない思ってました。単細胞でありながら個体であり、あらゆる機能を持ち、あらゆることをやっている。これはすごい。単細胞の藻類はすごい。そう思っていたんだよね。 ■研究者になったきっかけは? 大学時代は研究者になろうとは思っていなかったです。教育大だったので高校の先生もいいなと思って教育実習に行きました。一生懸命やって工夫して、自分ではうまくやったつもりだったんですけどね、担当教官に「君は高校の先生には向かないね。君のは大人にはわかりやすいけど、高校生にはあれじゃわからんよ」と言われました。その理由は何なのかよくわからなかったし、今もわからないんだけどね。 その後、大学院に入ってから高校の非常勤講師をやりました。やってみると面白かったんだけど、「高校生を教え続けることはできない。高校の先生には向かない」と思いました。修士を終えるころには、「一体自分は何になりたいのか?」ということを再度考え出しました。すると電気屋さん志向がよみがえって、工学部もしくは専門学校に行き直すことを真剣に考えました。その間に、修士論文を書いて、博士課程を受けたら、受かったんです。優柔不断で、どうするか決めかねているうちに時間切れ。博士課程に行くしかなくなりました。あそこでルビコン川を渡りましたね。研究者として後戻りができなくなりました。だから、僕が研究者になったのは、成り行きです(笑)。 親父には「お前こんなことやって何になるんや。博士は足の裏の米粒のようなものや。とらないと気持ち悪いけど、とっても食えない。」よく言われました。「大変な道だよ」と言外にいつも言われてたんだけど、自分は研究の世界に片足どころか両足突っ込んだので行くしかなかったんですね。 ■科学者としての資質とは? 科学は誰でもできるんです。だって、サイエンスというのは誰でもできるような方法として発明されたんだから。デカルトの方法序説にあるでしょ?「物事を要素に分けなさい。しかる後にそれを統合しなさい。」って。 科学者になるためのスキルは大学に入ってからでも、身に付けられます。むしろ、大学に入ってから身につけるものでしょう。問題解決力も方法論だから、大学に入ってから身につけることができます。 科学者として役に立つのは、問題を発掘して解決していく能力。「これは問題だ」と感じ取る問題設定能力です。これは自分で意識して磨く必要があります。今は科学者と言っても、「ただの科学分析器械」というだけの人もいます。例えばDNAのシークエンスなどは、昔は技術を持った人しかできませんでしたが、今は器械を使えばだれでもできます。そんなことができても「科学者」ではないですね。 それから、いい科学者になるためには人間性も重要です。最近は人間性が狭い大学生が多いなと感じます。サイエンスはできるんだけど、面白くない奴が多い。コミュニケーションするための素養が欠けている。基本的に教養がないんですね。ある一定レベルの教養をもって、人間としてもすごくないと科学者として使えないですよ。いい科学者を養成するためにはいい人間を養成しなければならないと思っています。 ■お薦めの本 いい人間になるためには、いい人間に接する必要があります。残念ながら実際には「いい人間」はあまりいないんですね。だから本や映画などバーチャルな中で接すればいい。「君たちはどう生きるのか」は名著です。是非BSリーグ生の皆さんにも読んでもらいたいです。 井上先生は研究室の学生と2006年に半藻半獣の不思議な生物「ハテナ」を発見されました。(ハテナについてはBSリーグ通信第9号「TAの研究紹介」で、山口晴代さんに説明してもらいました。)筑波大学生物学類が発行している「つくば生物ジャーナル」2006年5月号では井上先生がハテナについて語っておられます。以下、抜粋です。 TJB――ハテナ発見はどのような点が重要でしょうか。 井上――ハテナの生活環は、植物の進化段階の可能性の一つを示しているという点で非常に重要です。現在の植物には多様なグループが含まれますが、その大半は「二次植物」です。二次植物は、光合成をしない無色の生物が真核藻類を取り込む「二次共生」という機構で生まれました。藻類を取り込んだ生物が、真の植物になるには、取り込んだ藻類の細胞周期が宿主の細胞周期と同調し、宿主の分裂時にすべての娘細胞に藻類が受け継がれて、それが継続的に保持される真の「葉緑体」になる必要があります。二次植物の理解のためには、この二次共生の仕組みの解明が非常に重要です。 ハテナはその二次植物になる過程の初期段階、藻類を取り込み、ある程度の期間存続させてはいるが、分裂周期の同調はまだ確立されていない段階にあるといえます。宿主細胞の分裂時に、共生体は一方の娘細胞だけに受け継がれて、もう一方は再び捕食性生物に戻り、再度、共生体を獲得するといった生活環になっていると思われます。こうした意味で、ハテナの生活環は「半藻半獣モデル」ともいえます。 TJB――ハテナというユニークな名前も注目されています。どういった経緯で命名されたのでしょうか。 井上――正式な学名はHatena arenicola.gen.et.sp.nov.です。研究会議での声から、属名を研究室での愛称であった「ハテナ」としました。種小名arenicolaは、ラテン語で「砂の中に住む」という意味で岡本さんが命名しました。なかなか良い学名がついたと思っています。 TJB――藻類研究の面白さや意義をお聞かせください。 井上――30億年かけて今の生命圏を作ってきたのは、藻類です。シアノバクテリア(藍藻)の酸素発生型光合成に始まって、藻類は地球上の生態系を支えてきて、今も支えているという意味で非常に重要な役割を担っています。どのように多種多様な藻類が出現し、多様性を獲得してきたかをきちんと理解することは、藻類に限らず生物界全体の理解にもつながります。 TJB――若い学生へのメッセージをお願いします。 井上――まず、考えるための素材として、本や映画、友達との会話などから「ねた」をたくさん仕入れてほしいと思います。いろいろな考え方を知ることが物事を考える素材となり、素材を蓄積することがとても大切なのです。二つ目は、観察という意味で辺りを見回しながら歩くことです。最後に、冒険をすることです。考えすぎてもチャンスを逃してしまいます。これだと感じたら、躊躇せずに飛び込むことが大事です。新しい自分の世界を、自分で切り開いていってほしいと思います。 http://www.biol.tsukuba.ac.jp/tjb/Vol5No3/TJB200603SE1.html 井上先生は、30億年という時の流れの中で、生命、地球がどう進化してきたかを藻類というユニークな視点から捉えた『藻類30億年の自然史』 (東海大学出版社刊)を執筆されています。 |
第24号 2012.5.28
第23号 2012.01.16
第22号 2011.09.01
第21号 2010.11.10
第20号 2010.09.10
第19号 2010.07.12
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第17号 2010.04.23
第16号 2010.03.02
第15号 2010.02.03
第14号 2010.11.30
第13号 2009.11.06
第12号 2009.09.30
第11号 2009.08.30
第10号 2009.07.30
第09号 2009.06.29
第08号 2009.05.29
第07号 2009.04.24
第06号 2009.02.27
第05号 2009.01.22
第04号 2008.12.24
第03号 2008.11.20
第02号 2008.10.22
第01号 2008.09.19
科学者は子供のころどんな子供だったの?なにがきっかけで科学者になったの?科学者になるまでの道のりを先生たちに聞いてみましょう!
第九回 濱 健夫先生
第八回 井上 勲先生
第七回 町田 龍一郎先生
第六回 大木 理恵子先生
第五回 林 純一先生
第四回 和田 洋先生
第三回 白岩 善博先生
第二回 漆原 秀子先生
第一回 佐藤 忍先生