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めざそう未来の科学者!SSリーグ 筑波大学 次世代科学者育成プログラム 

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科学者への道

第五回 林 純一先生


筑波大学生命環境学群
細胞生物学分野 教授
林 純一 先生

専門分野:分子細胞生物学
研究テーマ:ヒト・ミトコンドリア遺伝子疾患の分子細胞生物学 
研究室HP http://www.biol.tsukuba.ac.jp/~jih-kzt/
■子どものころはどんな子供でしたか?
 函館で生まれ、小さいころから近くの空き地で主に年上のガキどもと野球ばかりしていました。試合をするとかではなく、空き地で暗くなるまで、投げて打って、っていう感じでね。野球は一人じゃできないから遊んでくれる相手が必要で、遊んでもらうためには多少いやなヤツとも普段から良好な人間関係を築いておくことが重要であると、このとき自然に学びました。
 中学校の入学と同時に、父の転勤のために札幌に引っ越しました。野球が好きだったから、中学では野球部に入ったけど、新入部員は球拾いという今思うと当然のルールがあって、それが嫌ですぐにやめました(笑)。部活をやめて、しかも引っ越したばかりで近所に遊んでくれる知り合いもいなく、やることがないから仕方なく勉強を始めたら、今度は勉強が面白くなりました。
 生き物が特に好きだった訳ではないけれど、定期試験の時に、クラスでたまたま自分だけが生物のテストで100点だったことがありました。その時に先生に褒められ、「オレは生物が得意なんだ」と活手に思うようになりました。母が元々は小学校の教師だったこともあり、先生という職業の楽しさを聞いていました。母からの遺伝で自分も先生にむいていると思いこみ、将来は生物の先生になろうと思い始めたのもその頃です。
 
■大学・大学院時代
 高校の勉強は受験勉強でつまらなかったけど、大学は自由で勉強も遊びもほんと楽しかった。大学では教師の免許をとりましたが、尊敬する先輩が大学院に進学したことや、もう少しこの自由を満喫したくて、すぐには就職せず大学院に行こうと思いました。そのための受験勉強は2-3ヶ月程度でしたが、自分の中の何かのスイッチが突然オンになった感じで、これまでの人生で一番気合いを入れて勉強したね。
 大学院では、先輩や恩師の厳しい指導のもと、トロポミオシンという筋肉の収縮調節に関係するタンパク質の研究をしていました。あとは、アルバイトで女子高の生物教師をしたんだけど、若かったからね、キャーキャー言われて、楽しかったなあ(笑)。
 大学院を終えた時、研究が本当に面白くなり、恩師や先輩から幾つかの研究所を紹介してもらいました。その中で当時設立されて間もない埼玉県立がんセンター研究所に運良く就職が決まりました。ただ、良い教師になれるという(根拠のない)自信はありましたが、良い研究者になれるという自信はまったくなく、この選択はギャンブルでした。

■研究所時代
 就職が内定した埼玉県立がんセンター研究所に恩師とともに出かけ、そのとき、上司となる研究所長からは「君にはがんとミトコンドリアDNA(mtDNA)の関係についてやってもらう」といわれました。この訳の分からない研究テーマに失望しながら帰ったんだけど、そのことを察した恩師から「君を採用して良かったと上司に思わせる人間になれ」といわれ、胸が熱くなりました。
 研究テーマに不満を抱きながら研究所生活がスタートしたけど、設立後間もない埼玉県立がんセンターが提供してくれた研究環境は素晴らしく、希望に燃えた若き同僚たちと夜遅くまで研究に没頭しました。当時大学に就職できた同期もいたけれど決して彼等を羨ましいとは思わなかったね。何とか研究者としてやっていけるという自信のようなものはその時の努力のおかげだと思う。しかしそれから10年後に「mtDNAの突然変異はがん化に関係しない」という明解なデータを出しちゃって、そのために「今後研究テーマを変えるか、研究所を辞めるかのどちらかにしろ」ということになりました。でもそれから間もなく、恩師のおかげで筑波大学に「脱出」することができました。
 
■科学者(研究者)になるには?
 ノーベル賞学者や長寿の方々がその秘訣を語るケースがあるけど、彼等のまねをしてもダメだし、百人の研究者に研究者になるにはどうすれば良いのかと聞くと百通りの答えが返ってくると思う。大事なのは、自分が研究者に向いているかどうかの見極めで、向いていない人が研究者になったとしてもつらい毎日を送ることになるね。これは何も研究者に限ったことではないけど。
 これまで多くの研究者との競争に負け続けてつくづく思うのは、自分には研究者として必要な才能の大部分に恵まれていなかったことだね。確かに上を見ればきりがない。しかし努力でカバーするといっても限界があってね。だからといって親を恨んでも仕方ないんだけど。筑波大学に脱出できたおかげで今何とかやっているけど、本当は高校の教師になっていた方が良かったかもしれないって今でも時々思います。
  自分が何にむいているのかは、世間で言われているステータスを重視するのではなく、自分の個性に合った道を探すことが大事だね。いろいろとやってみて、楽しく気持ちよくできる事を探す。一度、方向を決めても、自分が違うと思ったら方向転換すればいいんじゃないかな。あまり簡単に軸足がぶれるのも良くないけど、自分に向いている事、好きなことをみつけるのが一番だよね。

 例えば、生物学類を卒業しても、料理が好きな人はシェフになるのもいいだろうし、絵を描くのが好きな人はそういう道に進めばいい。ただし、となりの芝生は緑に見えるので気をつける必要はあるけど。人それぞれが持っている得意な能力に本人が気がつくようにさせるのが教育の本当の役割かも知れないね.

 ■先生が科学者として他の人に負けていない部分は?
 実はほとんどすべて負け!研究所時代はこのストレスから逃れるため必死に研究しました。ただ、目のつけどころが多少人と違っていて「どうして、この論理の積み重ねの中で、そういう結論になるのか?みんなこうだっていうけどいやいや違うよ」って思うところがありましたね。物事を見る角度(切り口)というか、へそのつき方が他の人と違うんだよね。おかげで、日常生活では困りましたが、研究を進めるには、とてもよかった。研究者になるために必要な能力は「論理性」と「理解力」と「独創性」だと思う。人の論文を読んだ時に、その結果から何を言えるのかを推察できる「論理性」と「理解力」というのは大切だね。ただし、論文を読んだら、次に何をすればいいかというのは、みんなが考える。でもみんなと同じことしか考えられないと、大きいラボには負ける。だから、みんなが見ていないところに目をつけるというのも大切なんですよ。
 
■「論理性」と「理解力」と「独創性」は鍛えることができるか?
多少はね。他の多くの能力と同じようにこれらも大部分遺伝的に決まっているので教育によってこれらを鍛えるのは難しいと思う。これらの能力に恵まれているかどうかは、教育の中で個人個人が気がつくはずで、例えば、僕は小さい頃、生き物に興味がなかったけど、もし町田先生のような昆虫博士と出会って、昆虫ってこんなにすごいんだと言われたら、それに心を動かされたりしたかもしれない。だから、教育者は子どもの中に眠っている興味を引き出すことが大切だよね。全員が同じことを面白いと思う必要はない。でも一人でも面白いと思えば、興味を引き出せれば、教育としてはいいんじゃないかな。だから自分の中のこれらの能力(個性)をどうやって鍛えるかではなく、自分にはどのような能力(個性)に恵まれているかを見つけ、それを鍛えることが重要だと思う。
 
■お勧めの本
 すすめる本はありません。昔から、本を読むのは嫌いだった。相手の言いたいことをちゃんと正当に解釈できなくてね。小説を読んでも、「そうはならないだろう。なんでそうなるんだ」って思い始めてしまって、最後まで読み切れない。映画も演劇もすぐに熟睡しちゃう。自分には情報を発信する能力はあっても、外からの情報を受け取るシステムに決定的ともいえる遺伝的欠陥があることは自覚しています。これは研究者としても致命的欠陥ですね。でももう以前のように自分を何とか変えようとは思いません。大事な個性の一つとしてこの劣等感とは一生つきあうつもりです。

 ■生物学のすすめ
高校までの理系のスターは数学であり、次に物理や化学が続きます。でも、受験ではなく研究の世界になると、理系のスターの座は一変して生物学になります。現在、自然科学の国際一流誌に掲載される論文のほとんどは、生物学関連の研究論文です。さらに、連日マスコミをにぎわわせている環境保全、遺伝子改変、クローン、再生医療など話題の中心も生物学であり、社会が生物学に寄せる期待はますます大きくなっています。しかも生命現象はあまりにも複雑で、それを探求する生物学は一握りの天才だけが行うことのできる研究分野ではないんです。多様な個性が集う裾野の広いフロンティアが広がっているんですよ。最近は多くの製薬会社、食品会社、化粧品会社などが長期的視野に立った上で、実用学問を学んだ即戦力となる学生の他に、生物学をじっくり学んで、科学研究の基盤をきちんと構築できた学生や大学院生を積極的に採用する傾向があります。
BSリーグ生の皆さんには、BSリーグの研究や実習を通して自分の得意分野に磨きをかけ生物学の素晴らしさにたくさん触れてほしいと思います。

■研究内容
 筑波大学に移ったおかげで卒業研究生や大学院生にリスクの高い研究も試すチャンスが多く発生した(笑)。そして世界で初めてmtDNAに病気の原因となる突然変異をもつマウス(ミトマウス)の作出に成功しました。このマウスはミトコンドリア病の受精卵遺伝子診断や遺伝子治療法の確立などの応用面で貢献できただけでなく、哺乳類のmtDNAは完全母性遺伝すること、ミトコンドリア間で物質交換がおこること、しかし組換えはおこらないことなど、基礎研究の領域にも貴重な知見を提供することができたと思います(「ミトコンドリア・ミステリー」参照)。
 またごく最近私たちが提案した「がん転移ミトコンドリア原因説」は、mtDNAの何らかの突然変異は「がんの悪性化(転移)を誘発する」という仮説で、「正常細胞のがん化を誘発する」という「がんミトコンドリア原因説」とは根本的に異なります。つまりmtDNAの特殊な突然変異は、がん細胞の悪性化の原因にはなりうること、そしてその場合は、抗酸化剤が転移抑制の治療薬として有効であることを突き止めました(Scienceの2008年4月4日の電子版参照)。30年前、埼玉県立がんセンターの上司から与えられた研究テーマが、長いブランクの末、今頃になってやっと完結しました。
 今回の研究成果の鍵は、研究テーマの軸足がぶれなかったことです。もちろん軸足がぶれなければすべてがうまくいく訳でもないけれど、少なくともがん研究のしばりから解放された後、しばらくたってから、強制ではなく自然な流れの中でがん研究の必要性を認識した上でがん研究を再開したことが大きなポイントであったように思いますね。

科学者への道

科学者は子供のころどんな子供だったの?なにがきっかけで科学者になったの?科学者になるまでの道のりを先生たちに聞いてみましょう!

第九回 濱 健夫先生
第八回 井上 勲先生
第七回 町田 龍一郎先生
第六回 大木 理恵子先生
第五回 林 純一先生
第四回 和田 洋先生
第三回 白岩 善博先生
第二回 漆原 秀子先生
第一回 佐藤 忍先生