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めざそう未来の科学者!SSリーグ 筑波大学 次世代科学者育成プログラム 

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科学者への道

第三回 白岩 義博先生

筑波大学生命環境科学系植物生理・代謝学分野 教授
白岩 善博先生

専門分野:植物代謝生理学
研究内容:「光合成炭素代謝の調節およびその環境応答機構 」
 ■どんな子どもだったんですか?
 私は山形県の田舎育ちです。30軒くらいの小さな村だったので、小学校の頃から隣町まで電車で通学してました。実家は農家でした。ヘビやカエルを捕まえたり、時には殺したりとか(笑)。みんなで蜂を採りに行ったりもしました。刺されましたけどね。
 中学の修学旅行で江の島を見るまで、海を見たことがありませんでした。だから、海に対する憧れがありました。

■生物学を学ぶきっかけは?
 高校時代は生物部に所属していました。年上のいとこが昔生物部で蝶を採集して標本を作っていたのに興味を持っていたからです。
 生物部では、船で2時間くらい行った日本海に浮かぶ離島・飛島で毎年一週間の臨海実習がありました。飛島周辺は透明度がとても高く、現在でもスキューバーダイビングなどが盛んです。
 海に潜って、海の中のいろいろなことを観察したのですが、とても感動しました。実習では、海藻の採集をして標本を作ったりしました。
 生物部では各自が自由にテーマを決めて研究(もどき)をすることになっていました。私のテーマは海藻だったんですね。結果的に今の研究につながっています。
 高校二年生の時に山形から東京経由で京都・奈良まで新幹線に乗って修学旅行に行きました。新幹線の中で担任だった化学の先生といろんなお話をしたんですね。ちょうど、進路を決める時期でした。先生と話して、職業の話や将来の話をして、「工学部などを出て会社に行くよりは、生物学の方が面白いのではないか」と自分の中に感じるものがあったんですね。そういうことで、理学部に行きました。

■研究者になろうと決めたのは?
 大学院生の時ですね。大学生の時は、単純に田舎に帰って、高校の生物の教師になるつもりでした。大学4年生になった時に高校の教員、県の公害研究所に勤める、もしくは大学院に行くという選択肢がありました。教員の面接試験の後自宅でごろ寝をしているときに、このまま田舎に帰って先生になる前にもう少し世の中を見てみたい気持ちが出てきました。
その後、友人に誘われて受験した東京の大学院に運良く合格したので、上野の駅から親に電話して大学院に進むことにしたことを伝えました。そこで一生懸命勉強をするうちに結構好きになって、研究の世界に入りました。 

■研究者に向いているのはどういう人でしょう?
 忍耐力があって、好奇心のある人。それから、自分の能力を心配しない人。自分が能力があるとかないとか、研究者に向いているとか向いていないにとかを考える人はやっぱりどこかにのめり込むことに対して限界があるのかなと思います。
 「自分が面白いと思うことは、世の中の人もおもしろいと思うはずだ」と確信できる人が向いているのではないでしょうか?それがないと、新しいことはできないから。

■忍耐力というのは具体的にどのようなことでしょう?
 実験を失敗したと思わない人ですね。失敗したと思う人は成功しなくてはいけないと思うわけで、それは大変だと思います。
 「実験に失敗はない」と思って実験すれば、すべては役に立つデータですから。そういうように考えてやれると長続きするんじゃないかな。

■先生の、お子さんへの教育方針は?
 お金のかかることは基本的にすべてに反対することに決めていました(笑)。何かをやりたいといった時には「ダメ」って。一回ダメと言えば、なぜそれをやらなくてはいけないかということを本人が考えますから。絶対やらせないというわけではなくって、ちゃんと考えて説明できればやらせました。 
 ダメって言われたことを頼んでやらせてもらうのだったら、最後まで責任持ってやるだろうと考えてました。ただ、お金のかからないことやよそからもらってやることは基本的に自由にやらせました。

■小中学生に勧める本は?
 伝記ですね。別にサイエンスの分野じゃなくてもいいんですけど、世の中でそれなりに名前が残っている人たちが、子ども時代をどう過ごし、どうやって何を考えて、こうなったかを知ることはいいのではないかと思います。エジソン、キュリー夫人、ヘレンケラーとかね。私は学校の図書館に並んでいた本を片っ端から読みました。

■先生の研究について教えてください
 今、一番知りたいのは海の植物プランクトンについてです。どのようなメカニズムで増殖するのか?増殖には、どのような栄養素が必要なのか?微量な元素が重要な役割を果たしているのかどうかなどね。
 私の専門は光合成によるCO2固定です。今は海の植物プランクトンのCO2固定を中心に研究しています。特に力を入れているのが、円石藻です。円石藻は海洋に生息する単細胞藻類で、円盤状のプレート(円石)によって細胞が覆われています。
 この円石は炭酸カルシウムでできています。これが細胞の中で作られるメカニズムが面白いと思っています。生物が鉱物を作るんですから。われわれの体で骨や歯が作られる、貝が貝殻を作るといったのも同じバイオミネラリゼーションというメカニズムです。
 円石藻は、葉緑体を持っていて、光合成を行います。それと同時に、石灰化により円石を作るので、海洋のCO2を固定することになります。 
 そのため、地球規模の炭素循環に大きな影響を及ぼす重要な生物であることが知られています。円石藻は、“ブルーム(水の華)”と呼ばれる大規模増殖を引き起こします。どうして、大規模増殖を引き起こすのか?何が原因なのか?それらを解明したいと思っています。

■円石藻って、きれいな模様ですね。
 円石藻類の円石は細胞によって作られる形が変わります。この円石の形は遺伝子に支配されているんです。

筑波大学植物系統分類学研究室藻類画像データ円石藻HP

円石藻類は1億5千万年前くらいから地球に存在し、7千万年前の中生代白亜紀に一番栄えていました。その頃の地層は、円石藻類の円石がつもってできた石灰岩となって白くなっています。だから白亜紀っていうんです。英語ではCretaceousというのですが、Cretaも石灰のことです。


チョーク層の写真(国立環境研究所 河地先生ご提供)






■以前、車軸藻(シャジクモ)採集に行かれてましたよね?
 行きました。車軸藻は外側に石灰をまだら模様に付ける。そういう仕組みが面白いと思っています。
 シャジクモ(車軸藻)は、昔は各地の湖沼や水田に普通に生えていたものなのですが、現在は絶滅危惧種なんですね。
 その原因は何か?農薬が原因ではないか?そのように考える人たちがいて、光合成を研究している私に共同研究の声がかかったんです。

■光合成の研究と農薬に関係があるんですか?
 今の農薬というのは多くが光合成阻害剤ですからね。光合成の研究と農薬は密接に関係しているんです。
 光合成を阻害するということは、作物の光合成も阻害する可能性があるということです。農薬の濃度、撒く時期を適切に行わないと、雑草の光合成を阻害するだけではなく作物の光合成も阻害していしまいます。
 今の日本の農家は農薬に関しては厳しく管理されています。農協では農家が使う農薬をすべて把握しています。どの農家がいつどの農薬をどれだけ買っているか、その農家の畑の広さはどれだけかがデータベース化されています。そのため、必要以上に農薬を購入しようとするのは難しい状況です。

■以前より農薬は安全になったと聞きますが、本当ですか?
 確かに以前よりも研究が進み、薬の作用の機序がわかってきました。昔と比べて大きく異なるのは、農薬の製造過程で不純物が入らなくなったことです。以前、農薬を作る際には不純物が多く含まれてしまうことがあり、この不純物が悪影響を及ぼす原因でした。
 純粋な物質で作れば、それは実験室内でメカニズムなどが確認されているものなので、安全性が高くなります。
 今は使用方法、使用回数なども決められていて、昔と比べて使用する農薬の量も減ってきています。

■サイエンスコミュニケーションについて
 科学者の話がつまらないといわれるのは、科学者が断言できないからなんですね。
 例えば、ラン藻の起源は35億年前だと言われています。それは、今までの化石を分析して、「たぶんそうだろう」と思われている結果であって、誰も35億年前の世界を見たわけではありません。
 ラン藻の化石は、実際には堆積岩上の「しみ」のようなもので、本当にラン藻かどうか、確実に言い切ることができません。たとえば新聞記者などに「ラン藻の起源は35億年前なんですね?」と念押しをされたら、「今までのデータから考えるとそうです。」ということしか言えません。「35億年前だ」と言い切ることができないのです。
 科学というのは、「今までわかってることを科学的に考えると、今はこれが正しいと思われる」という前提があるものです。新しい証拠がでると、変わってしまう可能性があるものです。ラン藻の起源でも、新しい証拠が出たら、25億年前になる可能性だってあるわけです。実際、そのような論文も出ています。
 科学者が、「今までわかっていることから考えると」という前置きを忘れて科学を論じると、危険な方向に行ってしまうのではないかと思います。

筑波大学 植物代謝生理学研究室のホームページ

科学者への道

科学者は子供のころどんな子供だったの?なにがきっかけで科学者になったの?科学者になるまでの道のりを先生たちに聞いてみましょう!

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