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めざそう未来の科学者!SSリーグ 筑波大学 次世代科学者育成プログラム 

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科学者への道

第一回 漆原秀子先生

筑波大学生命環境科学系遺伝・分子生物学分野 教授
漆原秀子先生

専門分野:ゲノム生物学
研究内容:「発生を制御する遺伝情報の解析 」
 ■どんな子どもだったんですか? 
 私は田舎で育っています。本当に田舎だったので、周りに虫がいるのは「当たり前」でした。あまりに当たり前だったので、虫を飼うということはありませんでした。生き物をじーっとみるとかはありましたけど。
好きだったのは「どうなっているんだろう?」って考えたり調べたりすることでした。時計を分解したりとかね。
 教科書に書いてある実験は、全部やってみました。葉っぱに陽をあてないようにしてデンプンがどうなるかを調べる光合成の実験とか。

■漫画本とかは読んでいたのでしょうか?
 子供の頃はあまり読みませんでいた。その分、大きくなって読みました(笑)。漫画本を両親に禁じられていたというわけではないんだけど、自分で「読んではいけない」と思いこんでいました。姉は貸本屋さんでマンガを借りてきたりしてたんですけどね。自分では借りませんでした。「自分はこうであるべきだと期待されている」と勝手に思い込んで、自分で制約をかけていましたね。

■小学生時代
 小学校の時は、「周りと同じでなければいけない」という気持ちが強かったです。人と違うことをしたり、言ってりしてはいけないと感じてたんですね。だから、自分の興味のあることを、学校で話したりはしませんでした。「まじめにこういうことを調べたりしています」というのが感じ悪いという雰囲気だったんですね。

■中学生時代
 地元の中学校は合わない気がして、中学からは私立に行きました。今でもよく覚えているんだけど、中学校に入ったら、ものすごく自由なんだと思いました。「やりたいことがやれる」というように精神が解放された感じですね。もう自分自身を出してもいいんだなって思ったんです。周りも「自分の好きなことをやる」という感じで、周りを気にすることはないって感じでした。
 中学校時代というのは大切ですね。いろんな意味で、あの時期にグーンと成長すると思います。人間の強さみたいなものがほぼ確立する時期だなと。

■生物学に進んだのはなぜですか?
 大学は理学部に行きました。私が大学に入った頃は分子遺伝学の黄金時代で「これからは生物学だ!」という感じだったんですね。ミーハーなんですけど、それで生物学を勉強しようと思ったんです。
 生物学の実験で、ショウジョウバエの唾液腺を見たのが、生物学を本気で好きになるきっかけですね。虫はあまり好きじゃないし、ましてウジ虫なんて見たくないって感じだったんですけど、顕微鏡で見た唾液腺に感動したんです。「すごいなあ。どうしてこんなにきれいなものができるんだろう。なんて生物の仕組みはうまくできているんだろう。」って。こういう感動があるから、生物学を研究しているんだと思います。頭から入って「生物の仕組みはすごい」って思っただけでは、続かないでしょうね。


漆原先生は、筑波大学生物学類で数少ない女性教員です。結婚し、二人の息子さんを育て上げられています。残念ながら、日本においては、そのような女性研究者は少ないのが現状です。

■女性なのに理系に進むということで、反対されたりはしませんでしたか?
 ないですね。まあ、「嫁のもらい手がなくなる」と世間では言われていたようですが、「だったら、さっさと探せばいい」と思いましたし、そうしました。
 女性だから理系に進まないほうがいいというのは、どうかなと思いますね。ただ研究者を続けていくにあたって、女性だと出産・育児などでつらい時期があるというのは事実ですけど。

■子育てで大変だったことは?
 子供にしてやりたいことをしてやれないというのは、辛かったですね。
 学生実験などでどうしても帰宅が遅くなるときには、学生をベビーシッターとして雇って、保育園に迎えに行ってもらったりもしました。
 今では「どういう育て方にも良い面と悪い面があるのでしょうがない」と思えるようになりましたが、当時はやはり、子どもたちが可哀そうという気持ちがありました。

■それでも、何とか乗り切れるものなんですね。
 「何とか乗り切れる」と思うしかないんですよね。それでも、すぐめげそうになるので、いろんな人に支えてもらいました。主人とか周りの友達とか、ボスとか。
 私の場合、ボスには本当に恵まれていたんですね。筑波大学でのボスも「子供を見てくれる人を雇ってでも研究を続けるように」という方でした。

■お母様としてお子様にどう接していましたか?
 二人の息子がいるんですけど、全然性格が違いました。
 上の子は生物が好きじゃなかったんです。学研の付録の実験とかも、一切やらない子でした。でも数が好きな子だったので、数の勉強は一緒にやりました。自分自身も数学が大好きだったからというのもありますけど。かなり小さい時から、マイナスの概念とか、数に関してはかなり深いところまで、一緒に学びましたね。
 下の子は、漫画を描いたりするのが大好きな子供でした。上の子がやらなかった付録の実験も全部やってました。
 やはり子どもが何に興味を持っているのかを見極めて、それを伸ばしてあげるっていうのが大切なんでしょうね。

■生物の研究者になるにはどうしたらいいでしょう?
 前回の佐藤先生と違って、私自身は生き物を飼ったりはしていませんでした。今の生物学の研究はいろんな観点が必要なんですね。例えば、ゲノム情報についての研究ならば、コンピューターがわかっていないといけません。コンピューターが大好きで、それから生物の研究に入るというのもいいのではないでしょうか?
 生き物は面白いということを知りつつ、いろんなことをやっていただければと思います。

■BSリーグ生にお勧めの本はなんでしょう?
 雑誌ですがNewtonです。図解や写真がきれいで、特別知識がなくてもつい引き込まれ、科学の面白さにあふれていると思います。

■先生の研究について少し教えてください
 生物学の勉強をしていくと、分子レベルではいろんなひとが研究していていろんなことがわかっているということがわかったんですね。だから、自分はもう少し複雑なことをやろうと思ったんです。分子、細胞、個体というように複雑になっていくわけですけど、細胞をやろうと。
 大学院時代は哺乳類の細胞を使って、細胞同士の相互作用とか細胞接着に関する研究をしていました。
 筑波大学にきてからは細胞性粘菌の研究を始めました。細胞性粘菌は森林の土壌中に棲息し、細菌をえさとして分裂増殖するアメーバです。通常は細菌を餌として単細胞アメーバの状態で分裂増殖します。餌が無くなり飢餓状態に陥ると、周辺の細胞同士が集合し、移動体と呼ばれる多細胞体を形成します。単細胞と多細胞の状態を行き来する、独特の生活環をもつ進化的に興味深い生物です。
 私は細胞性粘菌を発生という観点から研究しています。発生というのは、細胞がいろんな種類の細胞に分かれて、役割をそれぞれ負担するというようになるわけです。それの一番単純な「1つのものが2つになる」という発生の実験系として、細胞性粘菌を使っています。
 細胞性粘菌はいろんな使い方がありまして、ばらばらの細胞が集まってくるので、数理モデルとして使う人もいますし、よく動くから細胞運動・細胞生物学として研究している人もいます。人に肺炎を起こす菌に感染したりするので、感染のメカニズムの研究をしている人もいますし、サバイバルの競争という観点から生態の研究をしている人もいます。

■漆原先生の著書
細胞性粘菌のサバイバル―環境ストレスへの巧みな応答 (新・生命科学ライブラリ―生物再発見)
(サイエンス社 (2006/12)




筑波大学 漆原研究室のホームページ

科学者への道

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