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めざそう未来の科学者!SSリーグ 筑波大学 次世代科学者育成プログラム 

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科学者への道

第七回 町田 龍一郎先生


 筑波大学生命環境科学系
 動物系統進化学分野 教授
 町田 隆一郎先生
 動物系統分類学、動物比較形態学・動物比較発生学
 研究テーマ:昆虫を中心とする節足動物の比較形態・発生学

 
研究室HP  http://www.sugadaira.tsukuba.ac.jp/machida/mushi.html

■どんな子どもだったんですか? 
僕は昭和28年に埼玉県浦和に生まれました。28年ですからね。まだ「戦後」ですよ。浦和でもまだ生き物がたくさんいました。父は絵描きで、埼玉大学教育学部の美術学科の教員でした。母は専業主婦で、姉が一人います。
 今の僕とは違って、子どもの頃はとても体が弱かったんです。あんまり学校にも行ってないんです。だから他の子どもたちと一緒に遊ぶということができず、家の庭で一人で虫と遊びました。虫が唯一の友達でした。クロスジギンヤンマ、トタテグモ、ホソハンミョウ、ルリタテハ、オオスカシバなんかがいたんですよ。雨の日は図鑑を見てましたね。だから子どもの時から昆虫の名前はたくさん知っていました。
 家の庭には山椒などがあったので、アゲハもたくさんきました。アゲハは大好きでした。アオスジアゲハ、キアゲハ、クロアゲハ、カラスアゲハ・・・たくさん飼いましたね。アオスジアゲハの幼虫はクスノキの葉を食べるので、埼玉大学の構内にあったクスノキの枝を守衛さんに追いかけられたりしながら折ってくるのが日課でした。夜になると幼虫が葉っぱを食べるざわざわという潮騒のような音が聞こえてきて、それを聞きながら寝てましたね。
 自分では覚えていないんですけど、子どもの時に「大きくなったら昆虫学者になる」と言ってたそうです。

■中高時代
 中学の時は家の近くにあった別所沼でプランクトンを取って研究してました。高校に行ったら、鳥が好きになって、バードウォッチングなどをしていました。高校時代は陶芸、仏像彫刻にも興味がありました。授業科目では、他の科目はダメでしたが生物だけはいつも100点でした。特に生物の勉強をしていたわけじゃないんです。好きだったから、授業中に全部覚えちゃったんです。

■大学時代
 大学は父親の出身校ということで、東京教育大学(今の筑波大学)に入学しました。大学時代はよく勉強する学生でした。生物の勉強はストレスなしですからね。楽しくて仕方なかった。いろんな研究室に顔を出して、先生方にいろいろと質問をして、一生懸命勉強してました。そのため先生方に可愛がられましたね。ともかく生き物が好きだったので、下田臨海実験センターと菅平高原実験センターにもしょっちゅう行ってました。高校時代から、鳥が大好きだったので、よく冬鳥を見に菅平に行ってたんですね。そして菅平センターにいらした昆虫学の安藤裕先生につかまって、昆虫の世界に戻されたんです。
 専攻を選ぶときには、細胞学の先生や、生理学の先生からも強く誘われました。系統分類学に行くか情報生物学に行くか、悩みましたね。
 よくよく考えて出した結論は「生理学などは機能を追う学問だ。分類学は生き物全体を追う学問だ。自分は、いろんな生き物がいるってことが好きで生物学を選んだんだっだ。生物の機能を学ぶのではなく、生物を丸ごと学んでいきたい。」ということで、分類学を選びました。
 分類学には海の生物を扱う下田臨海実験センターと昆虫を扱う菅平高原実験センターがあったので、これまた悩みました。下田では門レベルの研究ができるんですね。菅平は昆虫という節足動物門の一つの綱の研究です。あと、海のがかっこいいでしょ。大体、門というスケールの大きさ!(笑)悩んだ挙句、後は単純!、結局「自分は海のない埼玉県で生まれ育っている(先祖を随分遡ってもいない!)。俺の血の中に海という要素はない。」ということで、菅平を選び、今に至るわけです。

■昆虫学者になりたいっていう子は多いのに、実際になれる人は少ないです。どうして町田先生は昆虫学者になれたのでしょう?
 ともかく「生き物」が好きだったの一言に尽きます。私自身も研究者になるために特別な教育をされた覚えはないです。「生物学者になろう」と思ってたわけではなく「生物学者になっちゃった」のです。
 昆虫学者はなろうとおもってなるんじゃなくて、気づいたらなっていたというものではないでしょうか?生物学者になりたいと思って、自分にストレスをかけて何かをやるんなら、最初からやめた方がいい。特に、系統分類のような応用が利かない分野は「なっちゃった」という人じゃないとだめでしょうね。向いてない人はなれないんだと思います。といっても、決して「向いている」のが偉くって、「向いてない」のがダメというのではありません。方向が違うだけなのです!
 理科教室をやっていると目の輝きが違う子がいます。そういう子が将来生物学者になるんだろうなという気がします。

■BSリーグ生にメッセージ
 自分が本当に好きなものを選びなさい。中学や高校の間に自分の本当に好きなもの、自分がわくわくするものを見つけられたらそれでいい。いつ見つかるかは人によって違う。中高生の間に自分の好きなことを、見つけられたら、本当にラッキーだと思います。皆さん、焦ることはない!焦らずに自分をよく見つめてください!!

■現在の研究について 
 昆虫類は、現在100万種以上も知られていて、動物の75%を占める地球上で最も繁栄している動物群です。昆虫類の膨大な多様性は進化を通して得られてきたものですから、昆虫類の進化は非常に興味深い研究テーマであり多くの研究がなされてきました。それにもかかわらず、例えば、昆虫類の全約35目(生物は属、科、目、綱、門、界に分類されます。例えばカブトムシは動物界節足動物門昆虫綱鞘翅目カブトムシ属の一員として分類されます)の間の類縁関係さえいまだに定説がなく議論が絶えないのです。
 このような進化の議論をする上で、各動物(昆虫)群の形態の形成過程を検討し形態の本質を比較することはたいへん重要で、説得力のある議論を展開できるはずです。このようなアプローチを比較発生学といいます。私は、卒業研究、大学院そして現在に至る約35年間、昆虫の辿って来たであろう進化に想いをはせ、菅平で昆虫比較発生学を行ってきました。
 欧米でも活発に昆虫比較発生学が行われていました。しかし、現在、昆虫比較発生学を展開できるのは日本の筑波大学菅平高原実験センターのみで、私たちの研究室は昆虫比較発生学の世界で唯一、随一の研究拠点として機能しています。
 たいへん重要な研究分野でありながら、どうしてこのような状況になってきたのでしょうか。その理由は簡単です。例えば、現在、研究を行っている最も原始的な昆虫類であるカマアシムシ目を例にとりましょう。カマアシムシ類は1mm程の土壌昆虫で、生態さえ良く分っていませんでした。この発生を調べるにはまず飼育法、採卵法を確立しなければなりません。そうしてようやく卵が取れたとしても、それは直径0.1mm程のものです。それを解剖し、あるいは切片(卵を樹脂などで固めて厚さ1/100~1000mm程度の厚さに薄切する)を作成するわけですが、その方法も開発しなければなりません。そして得られたデータを解釈し、他の昆虫類と比較するには総合的な情報の集積が必要です。このような昆虫比較発生学において、いったん、伝統、系譜が途絶えると、このようなすべてのノウハウ、情報は潰えてしまい、昆虫発生学の発展は不可能となってしまうのです。

 筑波大学菅平高原実験センターでは元センター長の安藤裕博士が昆虫比較発生学を精力的に展開し、私がそれを後継し、私の元からも10名ほどの若い学者が旅立ち、現在も8名の大学院生たちが研究を行っています。菅平高原実験センターは世界レベルの昆虫比較発生学拠点なのです。
 私たちは、いままで23目の昆虫類の発生過程を研究してきました。そして現在は、カマアシムシ目、トビムシ目、コムシ目、イシノミ目、ガロアムシ目、カカトアルキ目、シロアリモドキ目、ナナフシ目、ジュズヒゲムシ目、ハサミムシ目の研究を行っています。また、昆虫の起源を理解するために多足類(ムカデ類)も研究しています。さらに、形態の形成過程を分子レベルから行おうとの試みも始めています。
 現在行なっている研究のテーマは、1)昆虫類の高次系統と、2)類縁がほとんど分っていない11目からなる多新翅類の系統関係の検討です。
 私たちは、昆虫類の高次系統に関して、従来認められてきた「内顎類」、「欠尾類」というグループを棄却するとの結論に達しました。
 そして多新翅類の系統関係に関しては、1)シロアリモドキ目とナナフシ目の近縁性、2)日本を含めた環太平洋に生息する「生きている化石」と呼ばれているガロアムシ目と近年発見されたアフリカ南部に生息するカカトアルキ目の近縁性、3)ハサミムシ目の多新翅類内での特殊性(不完全変態類である多新翅類より完全変態類に近い)などを明らかにしてきました。
 これからも、昆虫比較発生学発展のために、性根をすえて頑張っていきます!


マレーシアでの昆虫観察旅行にて、町田研の学生たちと
マレーシアでの昆虫採集での様子はこちらのコラムに↓
マレーシアに恋をして

科学者への道

科学者は子供のころどんな子供だったの?なにがきっかけで科学者になったの?科学者になるまでの道のりを先生たちに聞いてみましょう!

第九回 濱 健夫先生
第八回 井上 勲先生
第七回 町田 龍一郎先生
第六回 大木 理恵子先生
第五回 林 純一先生
第四回 和田 洋先生
第三回 白岩 善博先生
第二回 漆原 秀子先生
第一回 佐藤 忍先生