筑波大学生命環境科学研究系持続環境学専攻 濱 健夫 教授 専門分野:水圏生態学 研究テーマ: 「海洋・湖沼における物質循環と有機物の動態」 研究室HP http://www.biol.tsukuba.ac.jp/aqua-eco/index.html |
■どんな子どもだったんですか? 僕は長野県茅野市出身です。八ヶ岳のふもとで、冬になるとマイナス10度で、水をまけば凍るようなところです。 父親は高校の生物の教師でした。すみれの採集をして、図鑑(「増補 原色日本のスミレ」 浜 栄助)も作るような人でした。 そのため、僕も休みといえばすみれ採集に連れていかれました。家には、すみれの鉢が相当な数あって、父親が長期で採集旅行に行くと管理を任されていました。ときどきボール遊びの最中に、ボールがぶつかって、すみれを鉢から出してしまったことがありました。怒られるんですよね。でも、そのうちばれないですむ技を身に付けました(笑)。小学校の時には、自由研究として、すみれの種類によってタネの飛ぶ距離が違うのかどうかを調べさせられました。めんどくさかったけど、今から考えるとよかったですね。すみれは種類によって距離は違うんですけど、1メートルくらいタネを飛ばすものもあります。 兄弟は二歳上の姉が一人います。姉は優等生でしたが、僕はやりたいことをやってました。 父親は高校でスケート部の監督もしていたので、僕自身も小さい時からスケートをやっていました。今でもスケートやりますよ。 ■いつから生物学者になりたかったのでしょう? 小学生くらいから「将来は生物学者になりたい」と思っていて、他は考えてなかったですね。でも特にそれに向けて勉強していたということはありません。僕の家には、漫画は全くなかったし、テレビもなかったので、代わりに姉の教科書や百科事典を見るのが好きでした。 中学校のころから陸上の植物ではなく水の植物に興味が移って行きました。顕微鏡でプランクトンを見たりしてました。中学校時代からは父親が単身赴任となり、普段父親とあわなくなりました。そのため反抗する機会がなかったですね。 高校時代は諏訪湖の水生植物の研究をしていいました。月に一度は諏訪湖に行って調査です。今でもその頃の仲間とつきあいはあるんですけど、研究を続けているのは私だけです。 高校大学の頃は山本周五郎が大好きで、ほとんど読んだ。全然できない教科があったかですか?絵が下手でしたね。大学に行ってからもスケッチに苦労しました。 大学は東京教育大学に行きました。植物の生態と分類とどちらに進むか悩んだのですが、生態の方が面白いかなと思ってそちらを選びました。その頃から下田臨海実験センターにちょこちょこ行くようになりました。 ■学生時代は? 大学卒業後はそのまま大学院に行くつもりでしたが、ちょうど大学移転の時期で、大学の体制が整っていませんでした。そこで、地球化学を研究していた名古屋大学の大学院に進みました。でも、その分野では生物と言うのはただの「もの」にすぎなかったんです。生物を主体にとらえるのではなく、炭素量、窒素量、炭素を動かす「もの」としてとらえる。生物分野から行った僕にはカルチャーショックで、修士の間は辛かったです。 とはいえ、今になって思えば、模索していたあの時期は研究者として必要な時間でした。通常は大学から大学院まで同じ先生につきますが、それだとあまり悩むことはありません。ある意味で価値観の全く違うところに行き、そこの価値観を押し付けられた時に、初めて自分のアイデンティティについて考えるようになるんだと思います。方向をかえて別の価値観から見るというのは自分の方向を考える上で重要です。 最近、同じ研究室にずっといる学生をみていると、自分の方向性をどこで考えるのかということが心配になります。僕の研究室の学生は、僕の考えに沿ってやってしまうことになります。学類生から博士課程までずっと同じ所にいたら、ずっと同じ考えに沿ってやることになる。研究者になるには、いろんなところで考えるような機会が必要ではないかな?と感じています。できるだけ外と触れ合うようにした方がいいのではないでしょうか? ■船に乗って研究をされていたそうですね 以前は、日本カナダ共同研究をしていたので、夏は3ヶ月くらい、船に乗って、太平洋から北極海まで行ってました。サンプルをとって、プランクトンの光合成過程を調査するという日々です。2週間に一度くらい陸に上がるのですが、いろんなところを歩きまわることができて、とても楽しかったです。 サンプリングをすると、暖かい海と冷たい海ではプランクトンの種類も量も全然違うことがわかります。20リットルのポリタンクで海水をとって、ろ紙でろ過するのですが、太平洋の真ん中ではうっすらと色着く程度です。でも北極海だと珪藻が積もるんです。すごいなと思いました。 冷たい海では珪藻が多いんです。暖かい海では栄養分がないんですよ。海の中の栄養分は、上下に水が動くかどうかできまります。暖かい海では水が動かない。南極海は上が温められないので、水がよく動きます。そのため豊かなんです。 サンゴがあって熱帯魚がいてという暖かい海は「豊か」ではないのです。魚の量は寒い海のほうが断然多いです。寒い海では大きい珪藻をオキアミが食べ、オキアミをクジラが食べます。一方、暖かい海では小さい植物プランクトンを小さい動物プランクトンが食べ、小さい動物プランクトンを大きい動物プランクトンを食べ、というようにプランクトンの連鎖が長いんです。連鎖が長いとロスが多くなる。 遠洋漁業は海水が深層から湧き上がってくる「湧昇」で行われます。深層にある栄養物質も一緒に上にあがってくるので、それをもとに植物プランクトンが増え、動物プランクトンが増え、結果として魚も増えるんですね。 ■海底に有機物はどうしてたまっているのでしょう? 海底に炭素が運ばれるのはなぜか?昔はマリンスノーだと考えられていました。でもセジメントトラップ(海水中を沈降する粒子を集める装置)を使って確かめてみたら、海底に落ちてくるのは動物の糞が多かったんです。動物プランクトンは食べたものを、吸収しやすいところだけ吸収して数時間で糞として排出します。そのため、珪藻や円石藻がまとまった形で糞としてにパッキングされてでてくくるのです。 マリンスノーはふわふわとゆっくりと落ちていきます。でも糞は1日200メートルくらい落ちていきます。4千メートルくらいの海底にも20日くらいで落ちることになります。このように外洋においては、海底の有機物が積もるのは糞の影響が大きいということはわかってきています。 下田で研究していたある日、海が荒れてしまったことがあります。湾の外には出られないので、内湾でプランクトンをとろうとしたら、茶色のふわふわしたものがとれた。プランクトンではなく、砂でもなかったんです。「もしかして、これは糞なのではないか?」と思ったら、やはりヨコエビの糞だったんです。 もしかして、藻場の下には海藻にくっついている微小動物の糞がたまっているのではないかと思い、藻場の下にトラップをおいたら、糞がたまったんです。藻場での炭素循環については全く分かっていなかったのですが、これをきっかけに研究が進みました。 海藻の光合成で生産された有機物のうち、どのくらいが食べられて、糞になるのかを調べました。すると、大体1カ月で海底から糞がなくなっていることがわかりました。そのうち半分はバクテリアによる分解によりなくなり、残りの半分は外海にでて言っているということもわかりました。普段論文を書くのは、辛いんですけど、この論文は書いていてとても楽しかったです(笑) ■現在の研究について教えてください 今は生物を「もの」ではかる研究をしています。生でとらえるというよりも生物を物の量、物を動かすということからとらえる研究です。実際には化学物質の測定が多いですね。生物が好きで研究というのとは違うかもしれません。 海ではまず、表層で植物プランクトンによる光合成が起こります。ここで生産された有機物の一部は、植物プランクトン自身の呼吸により消費されますが、残りは動物プランクトンや魚などに餌として取り込まれます。そして一部は糞や死がいとなって海底に沈んでいきます。大気中の二酸化炭素をプランクトンが海底に引きずり込むのです。 炭素量で換算した場合に、どれだけの炭素が海にとりこまれてどれだけの量が海底に沈むのかというような物質としての動態を調べています。 生物が主体となって、有機物の固定がどのように進むのか。海底にはバクテリアに分解されない溶けた有機物があり、14Cを調べると1万年前だったりする。これはだれがどのように作ったのか?まだまだわからないことがたくさんあるのです。 ■海洋酸性化についても研究をされているそうですね 海が二酸化炭素を取り込むと海水の水素イオンが増えていきます。するとpHが下がり、海洋酸性化がおこります。海水が取り込んだ二酸化炭素を、藻類が取り込む。海水より大気中の二酸化炭素濃度の方が高いと、また海水が取り込むというように、大気中の二酸化炭素濃度が高くなると海洋酸性化も進むのです。 そこで、海洋酸性化が起こると、次にどのようなことが起こるのかということについて、現在、気象研究所と共同研究をしています。具体的には、二酸化炭素を増やした空気を海水に入れて、プランクトンがどう変わるかというのを研究しています。 ■BSリーグ生へのメッセージ 一つのことに興味を持ち、その興味を深めていくのは素晴らしいことだと思います。また、少し視野を広げて、異なった視点から現象を考えてみると、更に新たな方向に研究が進展することもあります。 皆さんの将来に期待しています。 |
科学者は子供のころどんな子供だったの?なにがきっかけで科学者になったの?科学者になるまでの道のりを先生たちに聞いてみましょう!
第九回 濱 健夫先生
第八回 井上 勲先生
第七回 町田 龍一郎先生
第六回 大木 理恵子先生
第五回 林 純一先生
第四回 和田 洋先生
第三回 白岩 善博先生
第二回 漆原 秀子先生
第一回 佐藤 忍先生
第24号 2012.5.28
第23号 2012.01.16
第22号 2011.09.01
第21号 2010.11.10
第20号 2010.09.10
第19号 2010.07.12
第18号 2010.05.31
第17号 2010.04.23
第16号 2010.03.02
第15号 2010.02.03
第14号 2010.11.30
第13号 2009.11.06
第12号 2009.09.30
第11号 2009.08.30
第10号 2009.07.30
第09号 2009.06.29
第08号 2009.05.29
第07号 2009.04.24
第06号 2009.02.27
第05号 2009.01.22
第04号 2008.12.24
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第02号 2008.10.22
第01号 2008.09.19